© 2023 by The Health Spa. (著作権表示の例)Wix.comで作成したホームページです。

  • s-facebook
  • Twitter Metallic

​院長のプロフィール

氏名:高田和浩

生年月日:1976年6月19日

資格:理学療法士

出身地:加古川市

 小学生からソフトボールをはじめ、中学高校と野球部に所属。中学時代は外野手として、高校入学とともに投手として毎日練習に励むも、中学では腰を痛め、高校では入学直後から肩を故障するなどケガの多い学生生活を過ごす。
 

 高校入学後からウェイトトレーニングをはじめ、社会人になってからも継続し、最高でベンチプレス170キロを記録するなど、趣味としてかなりやりこむ。
 

 高校卒業後はすぐに就職し、大手食肉メーカーに勤務するも25歳で本当にやりたいことはこれではないと決断し退職、トレーナーの道を進みはじめる。


 トレーナーとして勤務していた施設で出会った先輩が、理学療法士の養成校に通っており、話を聞いているうちに興味を持ち、その先輩と同じ養成校である大阪医専に入学を決意する。しかし高校卒業後9年が経過しており、とてもじゃないがすぐに入試を受けられるレベルでないと判断し、一年間の予備校通いを始める。
 

 予備校では朝10時~夜8時まで食事とトイレ以外はすべて勉強という、人生で一番勉強した期間を過ごしたことで、夏前に教科書を開いただけで吐き気がするという状態にまで陥るも、2日休んだらすぐに回復し助かる。
 秋に第一希望の大阪医専の受験を合格するも、せっかくここまでやったのだから、もうひとつレベルの高い大学を受験しようと考え、期間を延長して岡山の大学を受験するが普通に不合格となり、はじめの予定通り大阪医専に入学する。
 

 専門学校入学後は、整形外科に就職することだけを考え、運動器疾患についてのみ勉強して過ごす。そんなわけで、中枢疾患の患者さんを担当させていただいた実習では苦労したが、無事に卒業し免許を取得する。ちなみに実習地はなぜか遠方ばかりで、期間中はその土地のおいしいものを食べ歩き、実習が終わるころには体重が大幅に増えていた。
 

 専門学校卒業後は、希望通り地元の整形外科に就職し、毎日多くの患者さんを担当することが出来た。1年目は実習地でお世話になったバイザーの影響で、機能解剖学に基づくリハビリテーションを中心に勉強した。2年目に入り、ある患者さんがひどい肩こりで悩んでいたことがきっかけで、トレーナーを目指していたころに勉強したカイロプラクティックを再び学ぼうと考える。
 

 整形外科に勤務しながら、神戸で有名なカイロプラクティックの先生に弟子入りし、魔法のような手技にどんどん魅了されていった。師匠のところには、ガンやリウマチ、脳梗塞などの患者さんが多く来られており、その方々がみるみる元気になっていくのを見て、かなりの衝撃を受けた。師匠からはカイロプラクティックだけではなく、東洋医学の考えや、エネルギー療法など多くのことを学ばせてもらうことができ、視野が広がった。

 カイロプラクティックを学びはじめてすぐに、そっと触れるだけで体がどんどん変わっていく手技があると噂を耳にする。興味はあったが、それまで自分がやってきたものと真逆の考え方のため、なかなか受け入れることが出来ず時間が過ぎていった。
 

 その後、「触れるだけで体が変わる手技」というのがオステオパシーということを知り、常に頭の片隅にオステオパシーが存在しながら臨床を続けていた。縁があり地元の整形外科から尼崎の整形外科に転職が決まり、新しい職場の近所にクラシカルオステオパシーの本部があることに気づく。これは何かの導きかと勝手に思い込み、あれだけ受け入れることが出来なかったオステオパシーの世界にあっさり入ることとなる。
 

 入ってみるとオステオパシーの世界は自分が思っていたものとは異なり、すべて理にかなっていて完全に虜になり、毎週のようにオステオパシーのセミナーに通うようになった。いま思えば、「心の底から信頼できるもの」、「より良いもの」を探し求めていた時期だった。
 そんな毎週恒例のセミナー行脚を続けているとき、いま所属しているスタディグループのセミナーに参加した。そのセミナーでは、講師だけでなくテーブルトレーナー(アシスタント)の人智を逸した技術と知識を目の当たりにした。ありきたりな表現だが、まさに衝撃を受けた。それからグループに入れるまでに数年要したが、いまでは大好きな仲間たちと一緒に学ぶことができている。

 

 2018年3月、理学療法士として働いてきた保険診療の世界から、全ての責任を負わなければならないがより自由な世界へと飛び込む決意する。

 店舗選びをしているときに、JR西明石駅すぐの場所にきれいで落ち着ける場所を見つけ、この場所が播磨地方の方々にオステオパシーを広めていく拠点になると確信した。